死を受け入れた出会い
火曜日, 1月 25th, 2011母の葬儀も無事終えました。
成田を出発する際、私は娘に言いました。
「私たちがサイパンから帰ってきたら、おじさんからメールがいっぱい来てるかも…」
その出会い系無料予想が本当に当たってしまいました。
21日の早朝、成田に到着した私たち母娘の携帯に何通ものメールが兄弟から入っていました。
「今何処にいるの?無事ですか?」
私は誰にも告げずこの成田を出発しました。
母の死を知らせようと、兄弟姉妹、皆が私の行方を案じていたそうです。
でも、みんな知っていてくれたのです。
「〇〇はきっとサイパンに行っているんだと思う…」
兄弟姉妹、誰一人として母の死を見ることができないまま、母はひとり静かにこの世を旅立ちました。
そして、私たち子どもは4人で力を合わせ、母の葬儀をしました。
母は私を待っていてくれたのかもしれません。
娘の命と引き換えに旅立ってくれたのかもしれません。
真実は誰にもわかりませんが、20日夜半、皆がどこかで繋がっていたのかもしれない…
21日、成田から帰宅に向かい、それから葬儀の支度を済ませ、娘とふたりで車を走らせました。
実家に着いたのはすでに日も落ちた夜でした。
母の横で、私と娘は最後の別れとともに横に布団を敷いていっしょに寝ました。
兄弟姉妹、皆がそうさせてくれたのです。
翌日は、葬儀をとり行う斎場で兄弟姉妹が全員で通夜を過ごし、母の思い出を語り過ごしました。
母の痩せた顔は静かなきれいな寝顔でした。
『しあわせだから…』とみんなに言ってくれているような穏やかな顔でした。
そして、昨日告別式も無事でき、母は雲の上の人となりました。
母の参列には300名近い方々の弔問がありました。
最後まで、偉大な母でした。
そして、母はきっと私が家路につくまで心配していてくれたのだと思います。
夕べ遅く、私は無事帰宅しました。
兄弟姉妹の携帯からは、着いたらどんなに遅くても着いた連絡をするんだよってメッセージが入っていました。
娘とふたり、中央道を走り抜け家路に向かう途中、白い雪が舞ってきました。
まるで私のこころを見透かすようにきれいな雪が降ってきていました。
私は、ひとつのピリオドを付けることができ、羽化できたのかも知れません。
みなさまにもご心配をおかけいたしました。
そして、ありがとうございました。
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今ホッと心が無になれました。
…また、この場所でこれからもよろしくおねがいします。